目覚めは騒音と共に
京都で鳴った電話に生徒を連れて青十字学園へ駆け戻る。
置いてくることはできなかった。彼らはそれを許さなかった。
生徒ではあるが、京都での対悪魔戦で力強い戦力になることは証明されている。兄のことでは冷静では居られなくなる自分より、もしかしたら役に立つかもしれない。少なくとも彼らは兄の味方だった。
黒いコートが警戒に銃を持つ。祓魔師の物々しい姿に現状の厳しさを感じ取りながら、現聖騎士の地位にある男を横目に見、雪男は見知った姿に駆け寄った。
「シュラさん兄さんは……!?」
「メフィストと法廷の中だ」
見上げる、そこに燐が連れて行かれた法廷がある。
参考人として一緒に行ったはずのシュラが此処に居るということは判決が下ったのか――それとも。
「まだ判決は出てねぇ……多分な」
メフィストが何を考えているかは分からないが、お気に入りの玩具を易々と手放したりはしないだろう。
だが。
「倶利加羅を壊したのはフェレス卿の思惑でしょう?」
「だろうな」
やはり。別れ際に感じ取った不信は間違いようがない。
隠すつもりどころかはっきりと言って行ったようなものだ。その意図は分からないが。
「フェレス卿を信じても?」
「知らん」
「ですよね。とりあえず倶利加羅は直しました」
「は?倶利加羅直したぁ!?」
どうやってとか、なんてことをとか、嘘だろとか色々なことがない交ぜになった表情からシュラはあーと髪を豪快にかき回す。
「おまえ……いや、いい。直るんならその方がいい」
「シュラさん?」
「そいつが魔剣なのに代わりはねぇし、扱いにも慣れてんだろ」
「何を言って……」
「いいから早くしろ。奴が来るぞ――」
シュラが言い終わるより前に。
「どこだ、どこだ、どこだ!僕はまだ、負けてないぃぃぃぃぃ!」
絶叫に日ごろはどこに居るのか分からないほど大量の鳥が飛び立つ。
アマイモンの気に当てられて、普通の生き物は平静ではいられない。
「燐のことはとりあえずメフィストに任せて、こっちはあれどうにかしねぇとやべぇ」
「あれこそフェレス卿がどうにかしたんじゃなかったんですか!」
まったくなんて迷惑な。
怒りに我を忘れたアマイモンは燐の名前を叫びながら突き進む。
出ている祓魔師がその進行と止めようとするが、ほとんどが周囲を囲むアマイモンの眷属の対応で終わっている。
時折邪魔に感じるのか踏み潰すこともあるけれど。
探している――
突き進みながら時折首を回して周囲を見回す。その仕草は聴力から音を拾う仕草となんら変わりはないが。
悪魔は悪魔を感知する能力がある。
多分それは燐だけの力ではなく。
アマイモンは塔の上を見た。
「あそこですか」
呟いて跳躍。
ぴょーんと人を馬鹿にしているような仕草で尋常でない距離を飛ぶ。
「待てっ」
装弾した銃を構えるが一瞬で射程距離から出られた。
音が威嚇になるかと言えば気になどしないだろう。弾の無駄だ。
「ちっ……行くぞ雪男」
それが分かったから大人しくシュラの後についた。


鍵と階段を使い、破壊された天井で濛々と埃が舞う中に雪男とシュラは飛び出した。
鍵を使う分、距離の見た目ほど到着に時間は掛からないはずだが流石に一飛びで辿りつく悪魔には叶わない。
だが、何もかもが終わるほどの時間は与えていないはずだ。
埃で視界が悪い中、必死に目を凝らして周囲を探る。
――兄は何処に、居る。
三賢者はとっくに逃げ出したのだろう。そこに居るのはフェレス卿と。
「……あれは、なんですか」
カラカラと乾いた口の中から言葉を搾り出す。
そんな良い待遇なんてありえないことは分かっていたけれど。
「あれは一体なんなんですか!!!」
叫ばずには居られない。蒼い凍りの中に居るあの姿は。
「兄さんに何をしたんですかっ!!!!」
「落ち着け!おまえだって見たことくらいあるだろうってか今そんな状況か!?」
燐とアマイモンの間には阻むものは何も無い。側に面白そうな表情を浮かべたメフィストが居るだけだ。
一喝したシュラがその間に剣を振るう。
「邪魔です」
一瞥。それだけで横に居たはずの人が吹っ飛ぶ。
桁外れの力だ。
「ふむ。出てきてください。奥村燐」
振るわれた腕から不可視の刃が飛び、蒼いガラスが砕ける。
封印するのと同時に皮肉なことに守る役目もしていたそれが無くなった今、兄を守るものは何も無い。
「兄さんっ」
ぐったりと床に身を横たえたまま兄が目覚める気配はない。アマイモンはゆっくりと近づく。
銃を乱射するが、アマイモンは止まらない。そのうちにかちりかちりと弾が切れた音がする。
決して早いわけではない。なのにそのゆっくりさはけれど絶対的に間に合わない。
(畜生、畜生、畜生!!!)
兄さんを守ると誓った。恐いのは、そう。
マーラに答えた通りのことが今目の前で起こっている。
震える――これこそが恐怖だ。
倒れる兄さんまでの距離がなんて遠い。
「兄さんっ兄さんっ兄さんっ」
どうして、今いつもみたいに立ち上がってくれないのか。
自分の分まで多くを背負ってしまった兄。小さい頃から強くて憧れだった。
どうしようもなくても、頭が痛くなるようなことばかりでも、それでも。
「兄さんっ」
――頼むから。
「起きろー!」
ただただ叫ぶ。
その瞬間、パチリと目が開いた。
「え、うわわわわわ!?」
目の前に迫ったアマイモンの先程とは少々変わった姿にぽかんとしてから慌てて飛びのく。
その反射神経だけは素晴らしいの一言につきる。
「何これ雪男!?」
まったく言葉になっていない。
それでも多分、十分だ。兄さんは頭で考えるよりも体が動く。
「受け取れっ」
だからただ倶利加羅を投げる。
やることなんか分かってるだろ。

迷うな、恐れるな。
兄さんはただ、前に向かって行けばいい。

すらりと抜き放った刃に、蒼い炎が点った。








































































最強の再来
それを見た彼らは思った。
最強の聖騎士――藤本獅郎の再来だ、と。

猫又は落ち着いても、大騒ぎとなったこの場の収集が残っている。
応援として呼ばれた雪男にはそこまでは求められなかったが、事態の収拾に当たった当事者としての報告書は求められる。
後ろで見てたじゃねぇかと兄は言っていたが、上げる先はさらに上だ。こればかりは仕方ない。それに脛に傷がある身としては自分で上げた方が都合がいい。
問題の兄は詰め所から追い出して、その兄が飽きてどこかに行かないよう急いで無難にやっつけた。
「ええと……その報告、さっきと違わないかしら?」
「いいえ事実です」
きっぱりと答えれば受け取った女性は顔を引きつらせる。
ただ父さんと何度か任務をこなしたことがあるということはその手の適当さにも慣れているということだ。
「まぁいいけどね……」
はい、と受理の判子を押して発送用に預けてからそういえばと向き直る。
そういえばと言いながら恐らく聞くタイミングを計っていたのだろう。
「あの子、兄さんって言ってたけど……」
聞かれるとは思っていた。
あれだけのことをやらかした兄さんに興味が沸かないはずが無い。
しかも僕と同じ奥村という名前は、つまりは藤本獅郎の養い子ということだ。
しかもなぜか弟が祓魔師になってから何年も経ってやってきた。
秘蔵っ子と目されても可笑しくは無い。
「まさか念友、とか」
何を言われても平然と返すつもりでいたはずが、思わずぶはっと咽て返せない。
何の話だなんの。
「違います!っどうしてそうなるんですか……」
「ごめんね、あんまり似てなかったから」
あははと笑う女性はあまり本気なわけではなさそうだが、それだけに性質が悪い。
「双子のお兄さんだっけ?」
「そうです。父さんから聞いていますか?」
「ううん。でも、藤本先生のお子さんだなと思うわ」
だって、と向ける憧れの眼差しはまるで人が父さんを見るものと同じで。
きゅっと心臓が縮まる。
「さっきのまるで藤本先生みたいだったもの」
「そう……ですね」
素直に喜べない理由が酷く子供じみていることを自覚しているから。
曖昧に笑って外に出た。


あの瞬間、兄さんに父さんの面影を見たのは僕も同じだ。
それだけ多くの人がきっとそんな感想を持った。
まだ候補生である兄さんに。この話が大きく取りざたされればされるほど、どうして候補生がそんなことができるのか疑問に思う声は必ず出てくる。
噂は好意でもって広がったとしても、好意で終わるわけではない。
苦いマタタビ酒にぐでんとなった兄さんはそんなこと思いもしないのだろう。それでいいと思う、けれど。
「僕はそんなに兄さんに似てないんですかね」
「なんだよ。おまえ俺に似てるって言われたら怒るだろ?」
「別に……」
そんなことは無い。言われる場面に寄るとは思うけれど。
呆れることはあっても、この人の弟であることを恥じたことは無い。
あまり言われないからこそ、嬉しいのではないかと思う。
思ったけれど首を振った。
「いや、そうですね。僕は兄さんと違って頭は頭でも頭脳を使う方が得意ですし」
「なんだよ!おまえの言ったとおりにしただろー」
ふんと頬を膨らませて子供のような言い訳をする。
確かに刀を使わなかったことは確かだし、今回は頭というか言葉で事態を収拾したけれど捨て身なところは全然変わらない。全然分かっていない。
もしクロが兄さんの言葉を聞かなかったらまた間違いなく兄さんは体に傷を負ったはずだ。
なのに。
「ま、いいや。こいつ死ななかったんだし」
クロの姿を優し気に見やるその姿は父さんの姿というよりは、昔から憧れる兄さんの姿に重なった。
いつだって僕のできないことをやってのけて、僕を守ってくれた。
強い、強い、兄さん。
今の戦い方で最強の祓魔師なんて成れるわけがないと否定したけれど。
(僕よりは近い、か)
父さんにも。聖騎士にも。
だから僕の兄さんならいつか本当になってしまうんじゃないか、と思った。